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高知地方裁判所 昭和49年(ワ)421号 判決 1976年10月22日

原告

村住多市

ほか二名

被告

野村直孝

ほか一名

主文

一  被告らは連帯して、原告村住多市に対し金三〇三万一四三三円、原告村住美加子、同村住和彦に対し各金一九六万九三〇〇円、及び右各金員に対する昭和四九年一〇月六日から各完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して原告村住多市に対し金六二三万九六九三円原告村住美加子、同村住和彦に対し各金三〇〇万円及びこれに対する昭和四九年一〇月六日から各完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  交通事故の発生

被告山下は、普通乗用自動車(以下乙車という。)を運転し、昭和四七年八月二七日午後四時二五分頃高知県香美郡香我美町岸本二一五番先国道上で一旦停車後、発進右折ユーターンするに際し、右後方の安全確認をしないで右折しようとしたために、たまたま右後方から進行してきた原告多市の運転する普通貨物自動車(以下甲車という。)に乙車を衝突させて、甲車を北西に暴走させたため、甲車は道路北側の民家に激突した。その結果甲車に同乗していた原告多市の妻村住寿賀子(当三三年)は、右家屋の木片が左鎖骨上部から胸腔内に刺通したため心臓圧迫により死亡し、原告多市は左前腕切創(筋腱損傷二か所)等の傷害を負い、同日から同年一〇月三一日まで高知市の近森病院に入院治療、同年一二月二六日まで通院治療を続けた。

2  帰責事由

被告野村は乙車の保有者であるから自賠法三条により、被告山下は乙車の運転者として民法七〇九条により各原告らの損害の賠償責任を有する。

3  亡寿賀子と原告らとの身分関係

原告多市は亡寿賀子の夫、原告美加子は原告多市亡寿賀子間の長女、原告和彦は同じくその長男である。

4  損害

(一) 亡寿賀子の逸失利益と相続関係

(1) 亡寿賀子は、死亡前健康に恵まれ、本業として洋裁業を営む傍ら、時季によつては農協園芸品出荷場で稼働し、又保育園の清掃作業に従事し、その総収入額は月平均一〇万円を下ることはなく生活費を月三万円として計算しこれを差引いても、月七万円の純益をあげていたものである。而して死亡当時年齢満三三歳で就労可能年数は三〇年であるところ、ホフマン式計算による係数を乗じて得た逸失利益の損害額の計算は次式の通りとなる。

(100,000円-50,000円)×12×18.029=15,144,360円

(2) 亡寿賀子の相続人は原告ら三名であり、右三名が亡寿賀子の権利義務一切を承継したところ、これの相続分の割合は各三分の一であるから、その相続額は各原告につき金五〇四万八一二〇円となり、原告らは各これの請求権を有するものである。ところで原告らは、亡寿賀子に対する自賠責保険金として、金四九〇万九六八〇円を受領し、被告山下から金一〇〇万円を受領しているので、右合計金五九〇万九六八〇円を原告らに按分し、これを前記各請求額に充当することとして計算すれば、充当額は各金一九六万九八九三円となるから、これを控除すれば、原告らの請求額は各金三〇七万八二二七円となり、被告らは当然右損害金の支払義務を負うものである。原告らは本訴において取りあえず右金員中各金一五〇万円を請求する。

(二) 原告多市の逸失利益

(1) 原告多市は、清岡物産株式会社(本社室戸市羽根町所在)に勤務していたが、平均月収は六万七〇〇〇円であつたので、入通院並に自宅療養のため稼動できなかつた四か月間の得べかりし利益の損害金は合計金二六万八〇〇〇円の計算となるが、同原告は自賠責保険金として金一九万八一〇七円を受領したので、これを右損害金に充当するとその差引請求額は金六万九八九三円となる。

(2) 原告多市の入通院による慰藉料

入通院四か月として金三〇万円が相当である。

(3) 原告多市の入院雑費

同原告の入院日数六六日に対し、一日三〇〇円で計算すれば合計金は金一万九八〇〇円となり相当額である。

(4) 葬儀費

原告多市は亡寿賀子の葬儀に多額の費用を費したが金三五万円をもつて相当とする。

(三) 慰藉料

原告多市は、一二年間連れ添つた最愛の妻に先立たれ、且つ家庭に幼い遺児二人を擁し、妻に対する哀惜痛恨の情はむろんのこと遺児の将来の監護養育のことを思えば並大抵の苦労でないことと思われる。原告美加子は当時満一〇歳の少女、同和彦は満七歳の幼児であり、母を喪つた悲嘆の情は到底言葉には尽くされないものがある。

よつて原告らに対する慰藉料としては、原告多市に対し金四〇〇万円、原告美加子、同和彦に対し各金一五〇万円をもつてしても決して高額過ぎると云えないものであり、本訴において原告らは右各慰藉料を請求する。

5  よつて、被告らに対し原告多市は金六二三万九六九三円、同美加子、同和彦は各金三〇〇万円及びこれに対する損害発生の後である昭和四九年一〇月六日から各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、事故の態様と原告多市の傷害の程度は争うが、その余の事実は認める。

2  同2の内、被告野村は保有者ではない。

同被告は自動車の販売業者で、本件自動車(乙車)を昭和四七年八月二四日被告山下に代金七五万円、頭金二五万円、残金を同四九年九月までに月賦支払う旨の所有権留保約定で売渡したものである。

被告山下が乙車を運転していたことは認める。

3  同3の事実は認める。

4  同4の(一)の内亡寿賀子に対する自賠責保険金四九〇万九六八〇円の支払があつたこと、被告山下から金一〇〇万円の支払があつたこと、同(二)の内一九万八一〇七円の支払があつたことは認めるが、その余の事実は不知。

三  抗弁

1  過失相殺

(一) 本件事故発生については原告多市にも過失がある。

被告山下が、右にハンドルを切つて第二車線に進出するにあたり、右後方の安全確認が充分でなかつたことは否定できないが、原告多市にも、速度の出し過ぎと、前方不注視の過失があり、これが競合して本件事故が発生し、また、その被害を大ならしめたものである。即ち、本件事故現場付近は四車線直線コースの国道で、東方の見通しは五〇〇メートルにも及び、しかも、被告山下は乙車の右折方向指示器をつけて四ないし一〇キロの低速で右にハンドルを切りながら徐々に進行を開始したが、約四〇メートル後方に甲車を発見したのでブレーキを踏み停止したのに、原告多市は約一〇メートルに接近するまで乙車に気付かず、しかも、第一車線の先行車を徐々に追い越す状態で時速六〇キロ以上のスピードを出していたため、対向車線に障害物がなかつたにもかかわらず、乙車を避け切れず、これに接触したもので、同原告にも少なくとも二割の過失はあつたものと考える。

(二) ところで、原告らは本件事故により死亡した村住寿賀子の配偶者と未成年の子でいわゆる「填補清算の同一帰属性」を満たす関係にあるから、前記原告多市の過失は、その他の原告ら及び寿賀子らの損害の算定についても斟酌さるべきである。

2  弁済

前記二の4で述べたとおり、原告らは合計金五九〇万九六八〇円の支払を受けているが、その他に、原告多市は自賠責保険金の仮渡金一〇万円の、また、被告山下から亡寿賀子の葬祭料として金一〇万円の支払を受けている。

四  抗弁に対する認否

1  本件道路が直線であり、四車線であることは認めるが、原告多市に過失があつたことは否認する。

2  同2の事実は認める。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因1の事実中、事故の態様と原告多市の傷害の程度と内容を除き、その余の事実については当事者間に争いがなく、原告多市本人尋問の結果によつて成立の認められる甲第一九号証によれば、原告多市は右事故によつて左前腕切創等の受傷をしたことが認められる。

二  そこで、事故の態様を検討することによつて被告山下の責任の有無と過失相殺の抗弁について判断する。

成立について争いのない甲第一ないし第三号証、第六、第七号証、第一〇ないし第一五号証と原告多市本人尋問の結果によれば、

1  本件事故現場は道幅一三メートル、四車線(片側二車線)直線のアスフアルト舗装道路で見通しは良い。

2  被告山下は、乙車を運転して西進してきて現場付近の南端(第一車線)に停車し、道路北側にいる友人のところに行くべくバツクしようとしたところ、後方に他車があり、バツクできなかつたので、第二車線に進出しようとしたが、道路北側にいる友人に気をとられていたため、東方に対する注意を欠いて第二車線に進出したため、折から時速六〇キロ位で第二車線付近を西進してきた原告村住多市運転の甲車と衝突したものであることが認められる。

尚、原告村住多市は、乙車が第二車線に進出しようとした時点まで、乙車の存在に気がついていないことが認められる。

3  そうすると本件事故は、被告山下が後方(東方)に対する注意を欠いて第二車線に進出した過失が原因で発生したものであるから、同人は民法七〇九条によつて原告らの後記の損害を賠償すべき責任があるが、原告多市にも前方に対する注意を欠いた過失があることになり、その割合は、被告山下を八、原告多市を二とみるのが相当である。

三  次に被告野村の責任の有無について判断する。

成立について争いのない甲第二五号証の一、二、第二六号証、被告野村本人尋問の結果と同尋問の結果によつて成立を認める乙第一号証、第七号証と被告山下本人尋問の結果によれば、

1  被告野村は、「野村自動車販売」という商号で従業員四人を使つて個人で自動車販売業をしていた。

2  乙車はいわゆるナンバー落ちといわれる車であつて、高知コルト株式会社が、購入者があつたので自動車の登録をすませたものの、新車の状態で購入者との契約が破棄となり、昭和四七年五月二九日被告野村が販売目的でこれを買受け、自動車の登録名義は高知コルトにしたまま、使用者の名前を被告野村とし、自己や従業員が使用していた。

3  野村自動車販売は昭和四七年八月二四日乙車を被告山下に代金七五万円(二四回の月賦払)で売渡す旨の契約をし、被告山下は頭金と税金等で二七万円を支払い、車の塗料が剥げている場所、その他の補修部位があつたりしたので、それの補修をするため、車の引渡は同月二八日の約束にしていた、しかし、被告山下の方から早く乗りたいとの希望が出たので、車の補修は後日することにして同月二六日これを被告山下に引渡した。

4  成立について争いのない甲第二五号証の一、二によれば、乙車について、昭和四七年八月二六日被告野村名義で自動車保険の申込みをし、その後これが被保険者名が被告山下と変更されている。

以上認定の事実によれば、被告野村は、自動車の販売業であり、乙車は転売目的のために買受けたものではあるが、転売ができるまでの間は、自己及び従業員が乗つていたこと、乙車の引渡の日は補修を終了する予定であつた八月二八日と定められていたところ、被告山下の希望によつて後日補修するということで、八月二六日引渡されていること、従つて、後日補修のため被告野村に返還を受ける予定のあつたことが推認されるので、右山下に対する引渡は仮りのものであると認められること、更に、如何なる理由からか同月二六日付で被告野村名義で自動車保険の申込みがなされていること、これらを総合すると、被告野村は、本件事故発生時においても、乙車の保有者であつたと認定するのが相当であり、そうすると、被告野村は本件事故について自賠法三条の責任があることになる。

四  そこで原告らの損害について検討する。

1  亡村住寿賀子の損害

成立について争いのない甲第六号証によれば、亡村住寿賀子は昭和一四年一月二七日生れで本件事故当時三三歳であつたこと、証人沢村寿の証言と原告多市本人尋問の結果によれば、寿賀子は、沢村寿の洋裁の下請をしており、その収入は月額七万円位あり、洋裁仕事のない時は、農協に働きに行き、昭和四七年五月には三万三五八八円、六月には三万四三五円の収入を得ていたほか、昭和四七年四月から保育園の掃除をして月額八四〇〇円(四月のみ四五〇〇円)を得ていたことが認められる。

ところで洋裁の下請の場合は、必要経費として二割を要すると認められるのでこれを控除し、これを一〇倍(年間の内二か月は洋裁の仕事がないので、前記のとおり農協にパートタイマー職員として勤めていた)したものが洋裁による収入と認められ、そうすると亡寿賀子の年間の収入は次のとおり金七二万四八〇〇円となる。

<1>洋裁収人分 7万×0.8(必要経費2割控除)×10=560,000円

<2>農協分 年間64,000円(100円以下切捨)

<3>保育所分 8,400×12=100,8000円

<1><2><3>合計=724,800円

そしてその生活費は右収入の三割と認められるのでこれを控除すると金五〇万七三六〇円となり、本件事故後の就労年数を三〇年とし、ホフマン式でその逸失利益を計算すると、次のとおり金九一四万七一九三円となる。

507,360×18,029=9,147,193円

ところで、本件事故は原告多市が甲車を運転中乙車と衝突して発生したものであり、亡寿賀子は原告の妻であり、甲車に同乗していたのであるから亡寿賀子の損害についても、いわゆる被害者側の過失として、過失相殺の対象となると考えるところ、前記二の3で認定しているとおり、原告多市の過失割合が二であるから、右金九一四万七一九三円の二割を控除すると金七三一万七七五四円となる。

そして本件においては、亡寿賀子の損害に対し金五九〇万九六八〇円が弁済されていることは原告らの自認するところであるのでこれを控除すると、その額は金一四〇万八〇七四円となり、原告多市が夫であり、その余の原告らが子であることについては当事者に争いがないので、亡寿賀子の損害を各三分の一宛相続したことになるから、原告らの各相続分は金四六万九三〇〇円(一〇〇円以下切捨)となる。

2  原告多市の損害

原告多市本人尋問の結果及び同尋問によつて成立の認められる甲第一六、第一九号証によれば、

(一)  原告多市は本件事故による受傷(右前腕切創(筋損傷)左前腕切創(筋腱損傷)のため、昭和四七年八月二七日から一〇月三一日まで高知市内の近森病院に入院し、その後も、同年一二月二六日まで同病院で通院治療を受けたことが認められる。

(二)  原告多市は事故当時清岡物産株式会社に勤務し、月額六万七〇〇〇円の収入のあつたことが認められる、そうすると右治療中の四か月間の逸失利益は金二六万八〇〇〇円となる。

(三)  原告多市は入院中(六六日間)一日三〇〇円の雑費を要したことが認められるのでこの損害は一万九八〇〇円となる。

(四)  原告多市は亡寿賀子の葬儀費用として金三五万円を支出したことが認められる。

(五)  右のとおり、原告多市の損害は金六三万七八〇〇円となるが、前記二の3で述べているとおり、原告多市にも二割の過失があるのでこれを控除すると金五一万二四〇円となる。

(六)  そして、原告多市は自賠責保険から一九万八一〇七円、同仮払金一〇万円と、被告山下から葬儀料として金一〇万円以上合計三九万八一〇七円を受領していることについては当事者間に争いがないのでこれを控除すると金一一万二一三三円となる。

(七)  原告多市の本件受傷(前記2の(一)のとおり)による慰藉料は、傷害の程度や入・通院の期間及び事故の態様から金四五万円を相当と認める。

3  村住寿賀子死亡による原告らの慰藉料

原告多市(昭和五年一一月二〇日生)が亡寿賀子の夫であること、原告美加子(昭和三七年四月一八日生)と原告和彦(昭和三九年九月四日生)がその子である(身分関係については当事者間に争いがなく、生年月日は記録に編綴されている戸籍謄本によつて認める)ことから考えると、原告多市の慰藉料を金二〇〇万円、その余の原告らの慰藉料を各金一五〇万円と認めるのが相当である。

四  以上説示のとおりであるので、原告多市の請求は、亡寿賀子の損害金の相続分金四六万九三〇〇円、自己の損害金一一万二一三三円、自己の受傷による慰藉料金四五万円及び妻寿賀子死亡による慰藉料金二〇〇万円、以上合計金三〇三万一四三三円及びこれに対する弁済期後である昭和四九年一〇月六日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、その余の、原告らの請求は、亡寿賀子の損害金の相続分として各金四六万九三〇〇円、母死亡による慰藉料として各金一五〇万円、以上合計各金一九六万九三〇〇円及びこれに対する前同日から前同様年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、それぞれ正当であるからこれを認容し、その余を失当としていずれも棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 荒川昂)

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